西野 廣孝さん・實枝子さん(池崎町)
- ようこそ高階へ
- 2018-03-19
高階に住むまで
夫婦ともに大阪市此花区で育ちました。そこは、今でこそ「此花区」といえば「ユニバーサル・スタジオ・ジャパンがある所」として有名になりましたが、子どもの頃から何十年たっても、あまり変化のない、都会という響きには程遠い昔ながらの佇まいを残した町でした。日立造船が大きな工場としてあり、昭和の中ごろまでは、此花区の一大産業の担い手としてありましたが、しだいに地方へ移転したり造船業の哀退があったりで、今はほとんどその面影もなくそこの跡地に「ユニバーサル」がでいて二十年近くが過ぎました。
私たち夫婦は、小学校・中学校と地元で育ち、高校からはそれぞれが違う道に新たな将来に向って進みだしたのですが、運命のいたずらか、成人して再会する機会に恵まれ結婚し、現在に至る状況になりました。
娘二人を嫁に出し、二人で送る都会での生活が長くなれば長くなるほど、人の多さや自然の少なさ、人と人との結びつきの希薄さに淋しいものを感じる気持ちが、お互いに強まってくるのがわかり、「終の棲家は自然あふれる地で」と思うようになりました。そこで2年前から本格的に移住計画を実行し始め、休みごとにいろいろなところへ出かけては、家探しをしていましたが、昨年秋ごろにここ池崎町にたどり着きました。
高階での生活
主人は、今年1月から先に生活を始めました。引っ越しそた次の日に大雪が降り、さっそく雪かきの作業があったり、左義長祭りがあったりと、道具ひとつない状態での始まりでしたが、長ぐつを貸していただいたり、こんな道具をそろえればいいと教えていただいたり、「神社の掃除があるから一緒に行きましょう」と声をかけてくださったりと、大阪にいた私に毎日電話で楽しく話してくれ、ご近所の皆様の優しさがひしひしと伝わってきました。
3ヶ月遅れの4月から生活が始まった私は、主人が過ごした3ヶ月間を自分も過ごしたかったと悔しくなりました。人の優しさ、自然の美しさ、食べ物のおいしさ満載のこの高階の町にたどり着くのに、いろいろと関わっていただけた皆様に心から感謝しています。
今後の目標
私たち夫婦に大きな目標があるわけではありませんし、力量が備わっているわけではありませんし。でもこんな素敵な場所が、人口過疎で小学校が閉校になったり、高齢化が進んで、今までできていたいろんなことが難しくなってきたりすることには、何とかしていかなくてはいけないなぁという焦りを感じます。空家が少しでも減り、不便だと思うことやなくなっていく様々なことがいつまでも存続していけることに、少しでも役立てるようなことができるならばと、いつも心に置きながら元気よく、長く生活してきたいと思います。